東京→NY→東京。多様な経験を糧にして、債券運用を指揮する。
長生 太郎TARO NAGAO
運用部 債券グループ
シニア・インベストメント・オフィサー
東京とニューヨークで勤務し、債券運用から調査、新商品の企画開発、グループ全体の経営企画まで、幅広い部門・職種でキャリアを積んできた長生は、39歳で債券運用部門のシニア・インベストメント・オフィサーに就任。多様な経験を活かし、さまざまな強みを持つ運用チームのメンバーを統率しながら、誰もが業務を通じて能力を伸ばせる環境づくりを推進中だ。
何も知らない新人を、
時間をかけて育ててくれた
学生時代は経済や金融について勉強してこなかったため、入社前には債券の基本的な概念すら知りませんでした。そんな私でしたので、入社して4年間ほどかけて債券運用ビジネスを基礎からじっくり教えてもらうことになりました。責任感の強いインストラクター役の先輩方から、まさに手取り足取りの指導を受けました。そして、自分の興味の広がりに沿って、債券を軸にしたプロダクトを支えるさまざまな業務に取り組みました。
最初にチャレンジさせてもらったのが投資判断です。債券運用のアシスタントとして、この企業は財務状況がいいから「買い注文を出そう」とか、その逆に「売却しよう」といった判断を下す業務です。その後、経験を積んでくると投資判断だけでは地に足が着いた感覚が持てなくなり、投資判断の次のプロセス、実際の取引を経験しようとトレーディング業務に携わりました。さらにはミドルオフィス業務の重要性に着目し、投資信託の基準価額算出にも取り組みました。
そして入社5年目には、会社の海外留学制度を利用し米国へMBA留学しました。債券の発行体である企業や事業を評価する目をより総合的に養い、修了後はそのままニューヨークに留まり、野村グループの関係会社の調査部門にクレジットアナリストとして勤務しました。
金融危機に揺れる米国で、
強く心に刻まれたこと
2007年から勤務したニューヨークでは、折しもリーマンショックを経験。自分が大丈夫だと確信していた債券の価格がどんどん下落していき、当時は50億円もの保有残高がある債券もあったため、全身の血が逆流するような感覚でした。逆境の中、損害を最小限に止めるために駆け回りました。この時の苦しい経験から、「どんな局面でも基本通りにやるべきことをやる」というプロとしての行動原則を養いました。
運用会社で働くことは、イコール世界の競合プレイヤーを相手に仕事をすることを意味しています。当社における海外赴任に求められることも、東京本社で育成したプロフェッショナルを海外に派遣し、その拠点のビジネスの質をより高めることです。当社で採用された人の多くが海外で勤務しますが、ゲスト扱いは一切ありません。駐在員はローカル社員と同等の戦力であり、重要なミッションを担います。
そのような環境で海外マーケットの動きに直接触れ、ローカルチームと議論を闘わせながら協働すると、この仕事に求められる客観的な思考方法や判断力、行動パターンを知らず知らずのうちに身につけることができます。私自身、帰国してさまざまな課題に直面しても、ニューヨークで培った経験のおかげで、大抵のことは乗り越えられるようになりました。
誰もが生き生きと仕事を楽しみ、
化学反応が誘発される職場に
今はマネジメントとして組織全体を見る立場で、債券運用チームのメンバーが運用ビジネスに集中できる環境を整えることにエネルギーを注いでいます。適材適所でそれぞれのメンバーが強みを活かせるような機会を設け、運用パフォーマンスを通じてお客様にも満足していただく好循環をめざしています。
また、メンバーが質の高い仕事をするための環境づくりも積極的にサポートしていきたい。現場から上がってくるアイデアを見極めて、必要に応じて社内のリソースを投入し、新しいプロダクトの開発や業務を支えるシステムの整備を後押しするのは、今の立場だからできることだと思っています。さらには個の成長やキャリアプランをより長期的なスパンで見て、これまでとは異なる部署を経験してもらったり、部門を横断したメンバーが集まる新しいプロジェクトに参加してもらったりといったことも重要。一人ひとりのポテンシャルを高め、化学反応を誘発するような職場づくりを推進したいと考えています。